無意識の色眼鏡
自分がかけている眼鏡を意識したことはあるだろうか。
先日、「自分がかけている眼鏡」について考える講義があった。
私たちは、物事の見方を決める眼鏡をかけており、その眼鏡は無意識の内に色付けされている。どんな眼鏡でどんな色がついているのか、一度外して考えてみようというものだった。
例えば、国籍・人種・家族構成・居住地・自分自身の経験などによってそれらは色付けされている。なるほどと思いながら実際に書き出してみると、両隣の人とは異なる自分だけの色眼鏡がそこにあった。
ここ数年の私の目標は、物事をなるべく俯瞰的に中立的に見て判断できるようになることだった。
だが、誰しも己の眼鏡/フィルターを持っていて、それには少なからず個々の色が付いていると考えると、物事をそのまま捉えることはほぼ不可能なのかもしれない。
個人的に、無意識なものであるからこそ「色眼鏡を外す」なんてことは難しいと思う。
それでも、自分の考えを発する時に、自分には自分の色眼鏡がかかっていることを意識するのとしないのとでは大きな差があるのかもしれない。
同じ時に同じ世界を見ていても、全く同じ様には見えていないかもしれないと思うとなんだか不思議だ。でも、だからこそ他人の話を聞くのは面白いし、ちょっぴり妬ましく感じることもあるんだろうなと思う。