三浦春馬さんという人
どうしてもあの日から胸の中に燻りが残っていて、ずっと靄が晴れなくて…
自分の中にあるものを整理できたらいいなと思って、衝動でブログを始めてみた。
三浦春馬さんのニュースがあった時、私はいつも通りの日常を送っていた。もうすぐ定時かな…とふと携帯で時間を確認した時、友人からの「三浦春馬くんが…」というメッセージの通知が目に留まりました。気にはなりましたが、もうすぐ退勤。そのまま携帯を伏せました。
会社を出て、エレベーターに乗り、何気なく開いたTwitterで『三浦春馬 自殺』という衝撃の2文字を目にしました。瞬時に先程の友人のラインはこれか!と思いました。
エレベーターを降りたところで立ち止まり、しばらく動けなくなりました。目の前の景色はいつも通りで、私はあと10分で発車するバスにいつも通り乗る。なのに体が動かない。
こんな事を言うと誤解を生むかもしれませんが、正直に。私は三浦春馬さんの大ファンというわけではありません。なので、そんな状態になっている自分に本当に驚きました。興味があれば出演されるドラマは見ていたし、名前は勿論存じ上げている。それだけでしかなかった自分でも、受け止めきれない衝撃と悲しみに襲われました。
動揺したまま家に帰り、テレビをつけて音楽の日を観ました。本当に還らぬ人となってしまったことを痛感し、ずっと涙が止まらなくなりました。
悲しいことですが、芸能人の方が亡くなられたニュースを目にする機会は少なくありません。それでも彼の死はとても身近に感じられ、胸の奥深くまで突き刺さりました。
それは、三浦春馬さんが老若男女に嫌われることなく、幅広く、でも中庸に、そして何事にも真摯に取り組まれてきたからだと思います。
いくら願っても失った生命を元に戻すことはできません。あまりにも烏滸がましいことですが、何か出来ることがあったのではないかという後悔が心の奥底に引っかかっていて、ずっと燻り続けます。
言葉の使い方を考えること。そして、感謝と愛情は積極的に言葉にすること。
私は人間は最大の凶器だと思っています。言葉を使えるという能力は、人間に与えられた最大の武器であり、最大の凶器です。使い方一つで、人を生かし、人を殺します。
可能な限り他人を、少なくとも自分の周りにいてくれる人を傷付けない話し方や行動を身につけたい。前から感じていたことが、自分の中で確固たる思いへと変わりました。
三浦春馬さん、あなたを失ってからでしかこんな単純なことに気付けなくてごめんなさい。
ありがとう。大好きです。
どうぞ安らかに。